日々の記録。

プログラミングのメモや感じた事などを記録。

経験からの「認識の違い」のいくつか

「選択の科学」から

「選択の科学」という本に、”旧共産圏で暮らしていた人は、沢山の種類の(例えば7つの)炭酸飲料があっても、「炭酸ならどれも同じ、選択肢は1つ」という認識になる傾向になる”というエピソードがある。

旧共産圏の人は、選択肢は少ないが物が平等に手に入るが、「多様な商品の中から選択する」という経験を積んで来なかった為に、こうした傾向になるらしい。(シーナ・アイエンガー「選択の科学」)

例えば、次の画像を見せられて「どの灰色が好き?」と言われても、美術に疎い自分には「どの灰色も同じでしょ」となる。そんな事と似ているのかもしれない。

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ドラクエコンサートから

先日、東京交響楽団によるドラクエのオーケストラコンサートに行ってきた。自分としては、ドラクエ世代ということもあって、とても楽しい演奏会だった(プログラムにいくつか不備があり、演奏とは関係ないところで残念なことはあったけど・・・)。

twitterでこのコンサートの感想を見てみたら、「良かった」という声の他に、リハ不足などの演奏の質についての言及がいくつかあった。こういう方々たちは、自らオケで演奏をするような人だったり、よく演奏会に足を運んでいて、耳が肥えてる人たちなのかもしれない。

脳は、最初は大まかにしか物事を捉えることができず、訓練を積むことで細かいことも分かるようになるようだから(池谷裕二 「記憶力を強くする」)、やはり彼らは耳が肥えていたのかもしれない。

ソースコードから

仕事で人が作成したソースコードを眺めていると、コピペをしたのか分からないけど、複数のメソッドがほぼ同じ・・・ということに出くわすことが稀にある(たまに?時々?)。自分には、これは”ほぼ”ではなく、同じ処理という認識になるのだけど、もしかしたら書いた人にとっては、”ほぼ同じ”ではなく、”全くの別物”という認識なのかもしれない。「選択の科学」を読んで、そんなことを思った。