日々の記録。

プログラミングのメモや感じた事などを記録。

レビューするとき、されるとき

先日、チームメンバーが作成した仕様をレビューする機会があった。 相互理解を行う機会なので、認識の不一致は当然として、その他に記載漏れがあったり、誤字、コピペミスがあったりと、色々と実りある時間だったと思う。

その日の帰りの電車で、池谷裕二さんの「脳はなにげに不公平」という本を読んでいたら、次のようなエピソードが紹介されていた。

” 物を部屋に隠してもらう/探してもらう実験において、実験の参加者が物を隠す時は、見つけづらい場所に隠すけど(部屋の真ん中付近)、その隠した人が探す側にまわると、探しやすい場所から探す(部屋の端から探し始める)” というもの。隠す側は「いかに相手の裏をかこうか」熟考する一方、探す側は「いかにも」な場所を選ぶらしい。(隠すとき、探すときで、脳の働く部位が異なるらしい。興味のある方は、本を買って確認してみては。)

そのエピソードを読んで、「”仕様を書く”(そもそも「書く」なのか「作る」なのか)、”仕様を読む”(そもそも「読む」なのか「理解」なのか)という行為も、脳の使う部位が異なり、自分では客観視しづらいのではないだろうか?」と思った。 客観視しづらいのであれば、能力をあげるには、書きっぱなしにするのではなく、書いた上で、良いレビューを受けることが大切なのかもしれない。

この文章は、当然書きっぱなしなので、わかりづらい事は十分あり得る。